あっちこっちケイイチ オフタイム

よたかの日記を兼ねたブログです

オヤジが亡くなりましたよたか

昼過ぎに携帯が鳴った。
オフクロの番号だったので、なんの心構えもなく無防備に電話に出た。電話の向こうからはオフクロの涙声。
「おとうさんが……。倒れて……。心臓マッサージで……。徳洲会病院で……」
なにか大変な事が起こっている事は解ったのだけど、まったく状況がつかめない。とりあえず近くにいると思われる医師に電話を代わってもらった。

「これ以上の心臓マッサージを続けても見込みはありません。止めてもいいですか?」

どうやら、私は父親の最期の決断を求められているらしかった。
2、3質問をして、納得したので「もう辞めてください」と言って福岡に帰る準備をした。

それまで半年に1度のペースで福岡に帰っていたのですけど、こんなに突発的なのは2度目。前回はオヤジの胃がんの手術の時だったけど、それ程難しい手術ではなかったのでまったく心配はしなかった。
だけど今回は医者から『もう無理です』と言われていたので、それなりの覚悟はして行かないといけない。
とは言え、まだ亡くなったとも言われてないので喪服などの準備をして行く訳には行かない。ちょっと段取りが大変かも。

久留米にいる妹と石垣にいる妹にメールを入れて、息子と娘に葬式に出られるように調整をさせて、女房にも連絡を入れた。
あと、アポのあるクライアントさんに断りの電話を入れる。

連絡その他が済んだ頃に女房が帰って来たので、一緒に出かける準備をして荷物を作って千種駅へ向う。
ただ予定が立たない。どれくらい滞在するのか、予算は、葬儀の段取りなどなど。
「少し長くなると思う。多分2週間くらいかな」
「そんなにかかる?」

まだ決めかねていたけど、葬式その他で1週間。オフクロの様子を見るので1週間必要だと考えた。
2人暮しだったのが1人になる訳だから、最悪不幸が重なる事だってありえると思ったから少しでも長めに滞在しておきたかった。

帰郷はいつもLCCの格安チケットなので、新幹線での帰郷なんて久しぶり。
新幹線に乗ると、隣の席にはお母さんとサッカーをやっている小6の男の子。通路の反対側には2歳のハーフの女の子とエキゾチックな顔立ちの日本人のお母さんと、後ろの席にイタリア人のお父さん。
両方とも夏休みの旅行だと言って見えました。

『父が危篤で帰省』とか言って水を差すのもなんなので、少年サッカーの話をしたり、少しだけ話せるイタリア語で話をするとすごく喜んでくれた。

この時にやっと〝オヤジが死んでもあまり悲しんでない〟事に気がついた。
心なしいつもよりもおしゃべりになってる気はするけど、悲しい、辛い、寂しいといった感情がまったく湧いてこない。
実感がないと言えばそれまでだけど、なんとなく違う。オヤジかオフクロが亡くなるのは何年も前から覚悟していたので、亡くなったのはあっさりと受け入れる事ができたと思う。

ずっと離れて暮らしていると、そんな感じなのかもしれないとも考えた。
ただ、九州飛行機の震電のテスト飛行の事とか、化学兵器を作っていたと言われる近所の工場の爆撃の事とか、オートレースの事とか聞いておけばよかった話が結構あったかな。

新幹線が博多に着き、鹿児島本線に乗換えて南福岡駅で降ります。
久留米から来ている妹に電話を入れると、すでに葬儀場を手配したと言っていた。南福岡の駅から歩いて10分の場所。通っていた小学校の近く。昔ラーメン屋さんがあった場所だった。

葬儀社につくと、和室にオフクロと妹が居た。近所の親戚も来ていたので、挨拶だけしてオヤジの顔を見た。なんとも嬉しそうな顔してる。

大動脈瘤破裂とかいったかな。ボーリングしてて、ストライクをとって喜んでソファーに座ってそのまま亡くなったのだとか。
そりゃ、嬉しそうな顔してるのもうなずける。
私もゴール決めて、そのまま死んだらこんな顔なのかもしれないと思った。

後から言える事だけど、身の回りの片付けはほぼ済ませていて、介護も必要とせずに、ほとんど苦しまずに、一番楽しい時に亡くなったんだから本人は満足なのかもしれない。
年齢も年齢だったので、それほど暗い雰囲気もなかった。

お寺さんが見えて枕経を唱えてくれた時まではそう思っていた。

そして、葬儀社の方と打ち合わせして、花輪の事や、通夜と葬儀の段取りをして、親戚が帰って行った。
その夜は、オヤジの亡がらを寝かせている部屋で寝る事になった。ただ遺体の保存のためか、やたら寒くて眠れない。
そのせいか、オフクロがやたらオヤジの話をして来る。相変わらずオヤジへの文句ばかりだったけど、懐かしむように話しをする。

一緒に暮らしていた相手が突然いなくなる心の負担は、私の想像以上だと感じた。
「とにかく14日までは居るから。もう寝なよ」
「そう……」

そうして、福岡に2週間残る事を決めた。