あっちこっちケイイチ オフタイム

よたかの日記を兼ねたブログです

オヤジの葬式よたか

オヤジの葬式の朝、葬儀場へ到着するとオフクロと下の妹はすでに起きていた。
息子と娘が名古屋から到着する時間を考えて葬儀は13時からにしてもらった。その後の火葬、初七日まで5時間掛かるとしても19時の新幹線には余裕で間に合う予定だった。

旦那と別れて連絡しなかった従姉、女手ひとつで息子を国立大学院までやった従兄の奥さん、妹の嫁ぎ先のお母さん、たくさんの人が来てくれた。

特にボーリング場で倒れた時に一緒にプレイしていてくれた人が〝友人〟として来てくれたのが嬉しかった。

息子である私が言うのもなんだけど、オヤジは人付き合いが悪くて、短気、ワガママで車の運転を諦めさせるのも大変だったらしい。だからそんなオヤジに〝友人〟がいたのを知って心底ほっとしてしまった。

読経がはじまり、順番に焼香をはじめる。息子なので迎える格好で最前列に座らせてもらうけど、家族葬なので参列者も少なくスグに終わってしまった。

この後はすぐに火葬場へ向うので、オヤジの形を直接見るのは本当にコレが最後になる。少しは感慨深げになるかとも思ったがそれほどでもなかった。

人が死んだ時の儀式なんて、実に淡々としたものだと思った。
殊勝に俯く妹と、震えたままずっと目を伏せているオフクロを見ていると、この時ばかりはさすがに、太宰治の『人間失格』を思い出してしまった。

生前オヤジは、自分ひとりが生き残った時の事を心配していた。オフクロ同様、寂しさもあったのだろうが、それ以上に回りと上手くやれずに孤独のママ生きて死んでいくのを恐がっていた。
「オフクロが生き残ったら妹がなんとかするだろうから、オヤジが生き残ったら名古屋に来ればいいよ」
そう言うと、少し安堵したように「ありがとう」と言って笑った。

1人残ったオヤジを名古屋に呼ぶのは現実的ではない事くらい解っている。だけど、オヤジはせめて息子にはそう言って欲しかったんだろうと思った。だから、私はそう返事した。
そういう意味では悲しいフリをしている妹たちとたいして変わらないような気がした。

火葬場へ向うバスの中で、空の骨壺を膝に抱えてオフクロの隣に座った。位牌を膝に乗せたオフクロの口から途切れ途切れにオヤジの思い出がこぼれる。
一緒に旅行した事なんてほとんどなかった事、たまに一緒に出かけても全然楽しくなかった事。
延々とトゲのない愚痴が繰り返される。

バスが火葬場に到着した時、オフクロが「あんた着いたよ」と声を掛けてきた。最初は位牌か骨壺に言っているのかと思ったけど、火葬前なのでちょっと違和感を感じた。
オフクロを見ると、きまり悪そうな表情でコチラを見てた。
「ごめん。間違えた」
あぁ〜。どうやらオヤジと私を間違えたらしい。

油山の火葬場へ到着してバスを降りると、すでに棺は火葬炉の手前の部屋に運ばれていた。棺の窓越しですが、オヤジの姿を見るのもコレが本当に最後なので、少しはしおらしくしたいけどそれ程悲しいとも思えない。それでも結局真面目な顔で俯いていた。

いわゆる最後の別れの後、広めの控室で待機する。親戚達はたまにしか会うことができない息子と娘をつかまえて話をしていた。
息子が大人の顔で話しているのを見ると逞しくも見える。女房は初めて揃った〝従兄〟たち7人を写メに納めていた。
それぞれ、火葬が終わる2時間ほどの時間を有意義に過ごしているようにも見えた。

私は連日の疲れから、8畳ほどの畳のスペースで横になって休んでいた。
ソコへ義理の弟……、つまり妹の旦那がフラフラとやって来た。
「居場所なさそうだね」話したそうにしている事をストレートに切り出した。
「えぇ、まぁ。オレが悪いんですけどね。息子に嫌われてるんですよ」

その話は聞いていたし、多少思うところもあったので、もっともらしい事を少しだけ話をした。
うちの子育はあと3年で終わる。寂しさもあるけど、正直ホッとしてる。
しかし妹の所は、まだ10年以上も続く。住宅ローンもある。楽ではないだろうけど、ボーナスもなく不安定な我が身からすると羨ましくも感じる。

それでも、彼は私のスタンスや家庭を羨ましく思っているらしい。
「うち貧乏だよ。財産もないし。それでもイイと思う?」
「そうですね、そうなんですけどね……」

そうした会話をしていると、妹がコチラをチラ見していた。
彼もそれに気がつき、そそくさと次の居場所を探してその場を離れて行った。

火葬が終わり、収骨室でオヤジと再会しました。なんとなく姿がつかめる程度の骨が並んでいた。
不細工な菜箸のような箸で骨をつまんで骨壺に入れる。親族たちは遠慮して小さな骨を入れていた。
大腿骨や頭蓋骨は砕かないと入らないけど、さすがにオフクロはソコまでは出来ないので、私が力任せに砕いた。
その時に私は、病院からの電話の事を思い出していた。
喪主……ではなくとも、息子の役を果たせたような気がした。

葬儀場へ戻るバスの中、オフクロは無口だった。話す事もなかったので私もずっとだまっていた。やっと少し寂しさを感じられたのかもしれないと思った。

葬儀場へ戻ると、そのまま初七日法要の準備をして、お寺さんを待った。
お盆前のこの時期、お寺さんも忙しいらしく、枕経から葬儀までは住職の次男さんがきてくれたけど、初七日になって初めて住職がみえた。

少し時間が押してる。女房と子供ふたりが19時の新幹線に乗る事になっていたので、焦っていた。
そして、住職のお経とありがたいお話。
長い。歳をとるせいか話が長い。普段なら結構好きな類いの話なんだけど、今は落ち着いて聞いていられない。

初七日法要が終わって、会食が始まった時点ですでに18:30。もう食事の時間もないので、3人分を折り詰めにして駅まで急いだ。
葬儀場からJRの駅までは、小学校の通学路だった道。ウラ道もそのまま残っていた。

ギリギリだったけど、無事に予定の列車に3人を乗せて見送った。

葬儀場へ戻って、会食の残りをいただく。
子供が好きそうな食べものはほぼ無くなっていた。それでも一人分が残っていたのは妹が気をきかせてくれていたらしい。

やっと一通り終わった安堵感に浸っていると、帰り際に妹が捨て台詞を履いた。
「あんた少しはTPOを考えた方がいいよ。ウチの家も大変な時期なんだから、余計な口出ししないでね」
「もういいよ。もうお前と話をする事はないと思うから、安心しておいていいよ」

突き放して、壁を作った。
コレが私の悪いクセだと十分解ってる。
妹がワガママをぶつけられる相手が回りにいないから、私にぶつけたのも解ってる。
だけど、面倒だと感じた私は、なだめる事もなく絶縁の一言を投げつけた。妹のワガママくらい「ハイハイ」と言って聞けばいいのにそうしなかった。

踵を返して妹の家族は帰っていく。
旦那だけは、少し振り返って会釈した。

あぁ、この3日間で疲れて余裕がなくなっていたんだと思った。