あっちこっちケイイチ

よたかの日記を兼ねたブログです

感動についてよたか

なぜ「涙するほどの感動」は、フィクションや「他人の物語」のなかにしか存在しないのですか?というはてな問いについて

感動は、“フィクション”や“他人の物語”の中にあるのではありません。感じている感動はそれとは無関係にあなた自身の物です。
どんな物語や話に感動しようが、“感動”はそのストーリーの中に存在するのではなく、そのストーリを見たり、聞いたりしたあなた自身の中に感動は存在してます。

同じ話を聞いても感動する人もいるし、しない人もいる。つまり“感動する才能”を持っているかどうかの違いです。


ここから下は、はてなの答えではありませんが、どうしても書きたいので付け加えます。“自分の中に感動はない”といったニュアンスがとても気になってこの質問に反応してしまいました。

人の物語に感動できるのであれば、自分の物語、日常にも感動できるはずだと思っています。ただ、それに気がついてないだけ。もっと言うと、見ようとしてないだけかもしれません。

極端にいうと、朝、出かけた家族が、夜、無事に戻ってくる。実はこれはすごく感動できる事なのではないでしょうか?

家を一歩出ると、何があるか解らない今。子供たちが暴漢に合うかもしれないし、女房が交通事故にあるかもしれません。毎日、車に載っている自分自身も安全はなにも保証されていません。そんな中、出かけた家族が揃っている事はどんなに感動できることでしょう?

そろう事が出来なかった時に、“無事である大切さを実感して”感動する事はあるかもしれません。

これは大げさな話だと思われるかもしれませんが、10時間前に出て行った家族がちゃんと帰ってくる事が当たり前のだと言えるのは世界中でどのくらいの割合でしょうか?

あまりくどく書きませんが、アフリカ:ウガンダでは、拉致されない為に夜間避難する子供たちが、4万人もいます。(ほとんどは道路で寝てるらしい)

自分自身が居る場所を見直せば感動は足下にいくらでもあると思います。